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前回曽我から紹介を受けました、喋ると残念な新2回生の岡庭遼岳です。今年から1000円ミールにしたのに大学に入れなくなって途方に暮れています。
一応言っておきますが僕は喋っても残念にはなりません。普通です。ごくごくたまーに変人と言われますが、それは違います。

一応前置きとして「僕が変人である」ことに対して真面目に反論し、
「僕が変人である」ことは整合性が取れないことであると示しておきます。今後僕に変人と言うときにはこのブログを読んでから言ってください。

それでは始めます。

ちょっとストップ。そのブラウザを閉じようとする手を止めてください。まずは焦らずに落ち着いてください。

分かりました。

「興味ねーよ!」「長いのやだ」「誰が読むか!」「眠い」「時間ない」「おもんな。」という人のために、僕が今から主張することを3行でまとめます。なぜそうなるのか詳しく知りたい人はまとめ以外も読んでください。別にそれもいいわ、という方はゴリラの絵が見えるまでスクロールしてください。

1、「一般人」って結局よくわかんないよね
2、一般人と一般人じゃない人の基準も曖昧だね
3、だから「一般人」に「変人」も含まれる可能性大アリだよね。だったらいわゆる「変人」はいなくなるぞ
→たとえ「変人」と呼ばれても、そのような観念は実体が
ないので、そのようなくくりでは僕も「一般人」に入る。よって「変人」ではない。

<「僕が変人である」ことの反証>

前提:「僕が変人である」と主張する人間A(≠僕)が存在する

まず、「僕が変人である」という命題が導かれる論理から。
①Aが一般人である(少なくともそう信じている)
②僕がある部分においてAとその特徴を共有していない、もしくはAと異なる特徴を持つ
③ ①②より、僕は変人である

はい、これでどこが論理的に問題があるかはっきり分かりましたよね。
そうです。
一つ目、「一般人」という観念の不安定性
二つ目、①②の特徴と、「変人」概念との繋がりの脆弱性
これですよね。

一つ目、「一般人」という観念の不安定性について。

「一般人」という観念は所詮観念にすぎないのであって、実体がない。そもそも、一般と付くからにはいわばシンボルなのであって、その内実は、数多くの人間を「統計的に処理」したときに、たまたま量的に多くを占めていた特徴を寄せ集めたものに過ぎない。

さらに言えば、先ほど「統計的処理」というアナロジーを用いましたが、その段階にいくつも変数(場所、年代、性別・・・)があり、「一般」という概念はいともたやすく変動しうるのです。
例えば方言なんかでは、大阪含め、関西地方では「関西弁」が「一般」的ですが、青森県を見てみるとどうでしょう。「津軽弁」が「一般」的になりますよね。

つまり、何が言いたいのかというと、「一般」という概念自体が宙に浮いており、それを用いた「一般人」は、もはや実体のない観念になってしまっている、ということです。

二つ目、①②の特徴と、「変人」概念との繋がりの脆弱性について。

一つ目の「一般人」観念ともつながる話ですが、「一般人」はかなり変動しやすいので、人間が「一般人」たりうる、固定された基準はありえないことになります。そうだとすれば、日常会話で「一般人」という観念が用いられている以上は、この観念はある程度の射程を持っているはずです。

それでは、その射程とはどこまでか、ということになりますが、これは「一般人」たりうる、その固定された基準はどこまでか、という質問と意味が同じです。つまり、射程についても固定されていない。

そうです。「一般人」は無限に広がってしまう観念なわけです。

だとすれば、「一般人」という観念は巷で言われている「変人」という観念をも包含する可能性があります。そうなると、A君の「一般人」の基準から外れていることは、必ずしも僕が「変人である」ことには結びつかないわけです。つまり、論理的必然性がない。さらに言えば、「一般人」が無限に広がる観念だとすれば、世の中に「変人」すらいないことになります。

となると、僕もいわゆる「一般人」という観念に包含されることになり、僕は変人ではなくなると。そういうことです。

結論。僕は変人ではないし、そもそも「一般人」の性質上「変人」も存在しない。

ここまで読んでくれた方には感謝です。

 

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前置きがかなり長くなりましたが、ここから本題です。

まずは、謝罪から。

大変申し訳ありませんでした。

なぜ謝罪しているのか。決して前置きが長すぎるとか、屁理屈だからというわけではありません。去年の新入生紹介ブログに関係があります。

去年、僕は新入生紹介ブログなのに、自分のことよりもふりかけについて語ってしまいました。後悔はしていませんが、やっちまったわけです。
(気になる方はこちら。https://handaivolley.com/2019/06/26/2019-no-4/

そこでふりかけについて偉そうに語ったわけですが、
実はあのブログを書いて以降、

全くふりかけを食べていません。

ですので、今回はふりかけについての記事を書くことはできません。

一年間楽しみに待ってくださっていた皆様(いるわけない)、大変申し訳ありませんでした。

一体なぜあんなにふりかけの愛を語っていた僕がふりかけを食べなくなったのか。
それは、あることに気がついてしまったからです。あることとは、

 

・・・ふりかけよりも本物の方が美味くね・・・?

 

遅いわ!と総ツッコミを食らいそうですが、この一年、ほんのちょっとだけ自炊する機会があったんですが、気がついてしまったのです。

おかずを作ることで得る満足感−おかずを作るコスト > ふりかけの美味しさ

これなんですよね。

今は別にふりかけでご飯を食べる必然性がないんですよ。作れるし。
ここで、自炊の数々をご覧ください。

 

おっと、失礼しました。松屋の特製カレーが出てしまいました。
松屋が去年スタート(正確には限定メニューを定番化)した、松屋創業当初の味を再現したカレーで、旧カレーが辛めであったのに対し、新しい特製カレーが牛肉の旨味を引き立たせた万人ウケするようなカレーですが、自炊とは関係ありませんでした。

 

今度こそ自炊をのせます。

 

し、失礼しました。今度はミニスナックゴールドが出てしまいました。コスパのよさと柔らかいデニッシュ生地が人気のパンです。実はチョコ味のミニスナックゴールドブラックもあることはあまり知られていない事実なのですが、こちらも自炊とは関係ありませんでした。

 

はい、お察しの通りほぼ自炊をしてないのでのせられる写真がありません。
今年の目標は自炊マスターになることです。来年のブログには自炊をのせます。また謝ることになる未来が見えますが、本当に自炊マスターになればいいわけで。

もう前置きの部分でだいぶ疲れたにもかかわらず、こんなに中身のない本文の最後まで読んでくださったあなたは相当時間の使い方がお上手のようですね。

 

今コロナとかいうやつのせいで大変なことになっていますが、世の中がこんなに一体になって「家にいよう」とか自粛しようとなることはそうそうないと思います。

そんな中で何かと時間を持て余すこともあるかと思いますが、阪大バレー部の新歓ブログが誰かのささやかな楽しみになっていれば嬉しいなと思いつつ筆を置きたいと思います。(いや、いいこと言った。)

次回は、自称&他称バレー部一髪の毛量が多い新2回生の柄戸です。毛量が多い彼は、床屋に行くといつも床屋の手を煩わせているらしく、たまに床屋に行っても行く前と髪型が変わらない時があります。


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